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仙台地方裁判所 昭和42年(ヨ)155号 判決 1969年2月24日

債権者 武田時夫 外三名

債務者 日本国有鉄道

主文

債務者に対し

債権者武田時夫は仙台鉄道管理局小牛田保線区保線機械掛の債権者高橋高夫、同伊藤誠は同局仙山線管理所奥新川通信検査班通信検査掛の

各地位にあることを仮に定める。

債権者鈴木信喜の本件申請を却下する。

訴訟費用は債務者の負担とする。

事実

債権者等訴訟代理人は申請の趣旨として「債務者に対し、債権者武田時夫は仙台鉄道管理局小牛田保線区保線機械掛の、同鈴木信喜は同局会津若松保線区西若松支区軌道掛の、同高橋高夫及び同伊藤誠は同局仙山線管理所奥新川通信検査班通信検査掛の各地位にあることを仮に定める」との裁判を求め、申請の理由として次のとおり述べた。

一、(当事者)

債務者は本社を肩書地に仙台鉄道管理局を仙台市清水小路二八番地に持つ日本国有鉄道法による公共企業体である。

権債者等はいずれも債務者に雇傭され、申請の趣旨記載の職場(但し債権者鈴木は仙台鉄道管理局会津線管理所会津坂下特定線路分区軌道掛)の仕事に従事して来たものである。即ち債権者武田は昭和一三年二月一六日仙台保線事務所保線係工事工手として試傭され、小牛田保線区在勤を命ぜられ、以後昭和四二年四月まで二九年余全く同じ職場で債権者鈴木は昭和一一年三月一七日桑原丁場直傭人夫として採用され、その後若松線路班を経て、昭和二六年一〇月一〇日以降一六年間会津坂下特定線路分区高田線路班線路工手として、

債権者高橋は昭和一五年三月三〇日仙台通信区一関支区通信工手、一関在勤を命ぜられ昭和三〇年一二月以降一一年余奥新川信号通信分区在勤の通信機掛として、

債権者伊藤は昭和二二年三月五日仙台通信区奥新川通信分区通信工手に採用され以後仙山線管理所に組織が変つたが、同一職場で一貫して通信検査掛の

それぞれ仕事に従事してきたもので、いずれも国鉄労働組合の組合員である。

二、(転勤命令の意思表示)

債務者は債権者等の所属する現場長を通じて、債権者武田に対し昭和四二年四月三日同月八日付で長町保線区保線機械掛を命ずる旨の債権者鈴木に対し同年四月一日、同月八日付で会津宮下特定線路分区軌道掛を命ずる旨及び昭和四三年三月機構改革に基き会津若松保線区会津宮下支区勤務を命ずる旨の、債権者高橋に対し昭和四二年四月四日、同月一〇日付で仙台信号通信区小牛田通信支区通信検査掛を命ずる旨の、債権者伊藤に対し同年四月四日、同月一〇日付で、仙台信号通信区仙台通信支区通信検査掛を命ずる旨の各転勤の意思表示を行つた。

三、(本件転勤命令の無効原因)

(一)  (労働契約違反)

1  (日本国有鉄道における勤務関係)、国鉄において、中高年令の現場作業従事者については、昇職に伴う転勤又は本人の希望による場合を除き当該就労場所以外へ転勤させられないという労使慣行(以下就労場所に関する慣行という)があり、又転勤転職等を行う場合には当局(特に現場長若くは現場管理者)は予め本人に対して内示し、その了解を得た場合、或は了解がえられないとしても客観的に労働条件が向上する場合にのみ転勤命令の前提手続である事前通知書を本人に手渡すという人事上の労使慣行(以下事前了解に関する慣行という)がある。

2  ところで労働基準法施行規則第五条第一号によれば労働基準法上使用者は就業の場所を明示する義務があることが規定されている。即ち雇傭契約はその給付すべき労務が労働者の人格と切離せない特殊な関係を有するところから、どこで勤務するかということは、別段の合意のない限り契約の要素をなすものと解するのが相当であるところ前記(一、(当事者)欄)摘示のような債権者等の長年月に亘る当該就労場所における勤務の継続と就労場所に関する労使慣行の存在を考え合わせるとき右職場が労働契約の要素である就労場所となつていることは明らかである。従つて本件転勤命令は労働契約の内容をなす就労場所と異なるしかも遠隔別異の場所において労務の提供をなすべきことを命ずるものであり労働契約に違反する命令であるから右命令は効力を生じない。

3  又転勤の事前了解に関する慣行については、労働条件の問題として慣行化しているときは個々の労働者の労働契約上の保護をも認められるべきところ、本件転勤命令においては前記事前通知書をいきなり本人に手交する措置がとられたのであるからこの点からも本命令は労働契約に違反し無効というべきである。

(二)  (労働協約違反)

1  (退職者の取扱いに関する了解事項違反)

(1) 国鉄においては定年制はなく従つて従業員は任意に退職するのが建前であり、国鉄当局は高年令者に対して退職勧奨はできても、退職強要はできないのであつて、このことは昭和二八年度以降労働協約上確立している鉄則である。そこで毎年債務者と国鉄労働組合との間で年度末退職者の取扱いに関して団体交渉を行い、労働協約を締結し、それに基いて退職勧奨が行われるのである。ところで昭和四一年一二月一七日債務者と国鉄労働組合との間で締結された「昭和四一年度末の退職者の取扱いに関する了解事項」によれば、第一項において「昭和四一年度末において年令満五十才以上又は勤続三十年以上の者で、昭和四二年一月一日から同年三月三一日までに退職の意思表示をしたものに対しては日本国有鉄道「職員退職手当支給事務取扱規程(昭和三四年一〇月総裁達第五二三号)第十二条の規定による整理退職の場合の退職手当を支払う」と定め続いて第二項において「前項の取扱いをする場合退職の意思表示を強要しない」と合意されているのである。

(2) (債権者等に対する退職勧奨の経過)

(イ) 債権者武田は五五才であるが、昭和四一年一一月中旬以降前後六回に亘り高橋小牛田保線区長、村田副助役から強力な退職勧奨を受け、その都度退職の意思がないことを明かにしたのであるが回を重ねるごとに執拗になり、昭和四二年三月二二日峯岸新区長は退職勧奨に応じなければ仙台方面に配転になる旨述べて債権者を脅し退職を強要した。

(ロ) 債権者鈴木も五五才であるが、昭和四一年一二月二七日以降前後六回に亘り、会津線管理所長、総務科長、施設科長等から退職勧奨をうけたのであるがその中で債務者側は何回も勧奨するとうるさくつきまとうことを宣言し、昭和四二年三月一六日には勧奨に応じなければ何処えでも転勤させることを明かにして退職を強要した。

(ハ) 債権者高橋も五五才であるが、昭和四一年一二月下旬以降前後九回に亘り、仙山線管理所渥美益治所長、桜井経夫総務科長、伊藤電気科長等から強引な退職勧奨をうけ、その都度拒否したが、債務者側から一貫して勧奨に応じなければ遠い所に転勤させると脅迫された。

(ニ) 債権者伊藤は五六才であるが、昭和四一年八月中旬以降八回に亘り、渥美所長、桜井総務科長、伊藤電気科長等から強引な退職勧奨をうけ、その都度拒否したが、債務者側から一貫して勧奨に応じなければ転勤させるといわれ脅迫された。

(3) 債務者は右に述べたとおり債権者等に対し、退職しなければ転勤させるとの脅迫的言動によつて退職を強要し、債権者等がこれに応じないとみるや、遂に債権者等の転勤命令に及んだものである。右命令後債権者等の申告によつて開かれた「簡易苦情処理会議」において債務者は「今回の異動は三月下旬から四月上旬にかけての施設、電気関係の異動に含まれる一般的な人事異動である」と答えたが、本件は定期異動に藉口して退職強要を敢えてしたものであることは明らかである。従つて本件転勤命令は「昭和四一年度末における退職者の取扱いに関する了解事項」第二項に違反して無効である。

2  (雇用の安定等に関する協約違反)

(1) 債務者と国鉄労働組合との間において昭和四〇年四月一日締結された「雇用の安定等に関する協約」によれば、その前文において、「企業合理化及び設備又は作業の機械化、近代化の進展に伴い雇用を安定し、労働条件の維持改善を図るため、次のとおり協約する」とうたい、第三項において「配置転換を行なう場合は設備又は作業の機械化、自動化及び合理化等に伴う事前協議に関する協定(昭和三五年四月一四日協定)によるほか本人の意向を十分尊重し、不利益とならないようにする。」ととりきめられている。右協約は昭和四〇年四月一日総裁石田礼助と国鉄労働組合中央闘争副委員長臼井享との間で合理化事案を契機に締結されたものであるが、この協約は企業合理化が行われる場合に組合との事前協議を規定したものにとどまらず雇用安定のために一般的労働条件についてもあわせて協約の内容としたものである。

(2) 然るに本件の転勤命令が本人の意向を無視した(前記(二)1(2))不利益な処分である(後記(三)(2)(ハ)(ニ)(ホ))ことは明かであるから右命令は「雇用の安定等に関する協約」に違反し無効である。

(三)  (正当事由の不存在と人事権の濫用)

(1)  (前提事実の不存在)

債務者は本件転勤命令を正当化しようとして国鉄における定期異動であると強弁するが債権者等は国鉄におけるいわゆる年度末の定期異動の対象者でなく終身特定の職場に勤務する現場職員であつた。債務者の債権者等に対する本件転勤命令は「通常の人事」ではなく、退職強要に応じなかつたことに対する報復人事である。債務者の本件転勤命令はその前提たる定期異動なる事実が存しないのであるから債務者のいわゆる人事権を根拠づける要件事実としての正当事由を欠き無効である。従つて又本件転勤命令は表面上名を人事権の行使に仮託しているが事質上債務者の退職強要を債権者等が拒否したことに対する報復として不利益制裁をはかつたものであり人事権の濫用であつて無効である。

(2)  (人事権行使の正当な範囲の逸脱)

本件転勤命令が次の各点を要素としていることは動かすことのできない事実である。

(イ) (国鉄における身分保障)

国鉄においては定年制はなく債務者も債権者等の属する国鉄労働組合と「退職者の取扱いに関する了解事項」を締結し「退職の意思表示を強要しない」(第二項)ことを定め「雇用の安定等に関する協約」においても一方的に不利益な配置転換を行わず、本人の意向を十分尊重することと定めている(第三項)。そして現場職員は原則として終身勤務先の職場に勤続することが労働契約の内容として合意されているか又はそのことが事実たる慣習となつていることは前述のとおりである。

(ロ) (退職強要)

(a) 本件の転勤命令に先立つて債務者は債権者等に対して退職強要を執拗に行い、債権者等を困憊させた。

(b) 右退職強要のなかで債務者は債権者等に対しこの際退職の意思表示を行わないときは債権者等を遠隔地の新職場への転勤を行うという不利益制裁を明示していた。

(c) 債務者は債権者等が債務者の退職強要を拒否する意思が固いとみるや本件転勤命令を発令した。

(ハ) (不利益制裁)

(a) 本件転勤命令は債権者等の希望によるものでは全くなく債権者等の意向に反して通告された。

(b) 本件転勤命令に伴い、債権者等の職務上の地位が向上した事実はなく却つてこのため債権者等は過酷な不利益を蒙りこそすれ利益になることはなかつた。

(c) 債権者等に対して、本件転勤命令の理由が示されることなく一方的に強行された。

(d) 今回の管内人事異動において債権者等をおいて外に現場職員が本人の意思に反して昇職等も伴うことなく遠隔地の新職場へ転勤せしめられた事例はなく又かかる先例もなかつた。

(ニ) (転勤命令の非合理性)

(a) 債権者等を転勤せしむべき業務上の必要なるものは存在しない。

(b) 転勤命令にかかる新旧職場では職場構成、職場環境、職場内容等の諸条件が全く異つている。

(c) 債権者等は旧職場において必要なかけがえのない熟練職員であつて旧職場では債権者等の転勤によつて支障を来した。

(d) 債権者等が新職場に適応するのは著るしく困難であり、旧職場におけるほどの実績を新職場であげるまでには相当の時間と労苦を要する。

(ホ) (生活破壊)

(a) 債権者武田は肩書地に昭和四〇年一二月に居宅を新築したのであるが五五才になるまで列車による通勤の経験はなく、新任地に通勤するとなれば小牛田発午前六時四九分発の満員列車に乗つて一時間二〇分揺られ、帰りは午後七時過ぎに帰宅することになる。病弱の妻を抱えているためこれまで行つて来た家庭の雑務も行えなくなるうえ、通勤の疲労と二九年間仕事をして来た職場とは異るところに行つて新しい仕事を、しかも退職勧奨されるようになつた五五才になつて行うことは大変な緊張を伴うし、労働強化も著るしいものと思われる。

(b) 債権者鈴木は家族四名であるが新任地に自宅から通うには朝五時四七分の汽車に乗り、午後六時四四分に帰宅することになる。又現在の勤務地に比較して宮下分区は山や高い鉄橋があり五五才になつて新しい環境で仕事をすることは大変な緊張を伴うのである。

(c) 債権者高橋は転勤先の宿舎がなく、従つてどこか新しく家を借りなければならないのであるが、五五才以上の昇給のない給料と八〇万円の借金の返済のため奥新川を離れては今後の生活設計が成立たないのである。又新しい職場の仕事についても不安である。

(d) 債権者伊藤は新川部落出身で退職後は新川に家を建てる計画をもつており、しかも五人家族で手取金三万円では新川を離れて生活することができないし、五六才になつて始めて新しい職場に移ることは耐え難いのである。

(3)  このように本件転勤命令は債権者等が債務者の退職強要を拒否したことに対する報復として加えられた不利益制裁であり、なんらの合理性がないばかりか、実害は甚大であり、長年の激務のため一般企業職員より平均寿命が短いとされる国鉄職員として永年勤続した高年令者に対する虐待事案であり、人権事件である。ここに至つて債務者による逆遇を受けた債権者等の境涯は誠に気の毒な実情にある。かかる転勤命令は債務者の人事権の行使の正当な範囲を逸脱し権利の濫用であつて無効であることはいうまでもない。

四、以上の次第であるから債権者等に対する本件転勤命令の効力を停止し申請の趣旨記載のとおりの仮の地位を保全する必要があるので本件申請に及んだと述べ

五、債務者の答弁に対し

(一)  債務者は「本件転勤命令は債務者のいわゆる年度末の定期異動の一環として通常の人事としてなされたものであつて」「債務者の業務上の必要により発令されたもの」で「債務者の当然の人事権の範囲に属する」というのであるが、債権者等の意思にかかわりなく一方的に発令する業務命令といえども、無制限に発令しうるものでなく、債務者もいうとおり「業務上の必要により適正に発令せられ」「できるだけ適切な労働力の再配分乃至整備を行うため必要な転勤命令」として正当事由をそなえることは当然に要請される。又業務命令は使用者が一方的に発令するものであるから使用者が労働者との間にした合意に抵触することはできない。即ち使用者は労働者との個別的な合意である労働契約及び労働組合との集団的な合意である労働協約に違反して業務命令を発令することはできず、更にそれが濫用に亘るときはこれによつて個別的な労働関係を変更する効力を有しえないことも当然である。

(二)  債権者鈴木に対する会津宮下支区に対する転勤命令は当初の違法な転勤命令が前提となつて発令されたものであるから違法性は当然に承継されており本件仮処分の必要性は存続する

と述べ

六、(疎明省略)

債務者代理人は「本件申請を却下する。訴訟費用は債権者等の負担とする。」との裁判を求め、答弁として次のとおり述べた。

一、申請の理由一及び二の各事実は全部認める。

同三の(一)の事実は否認する。債権者等の主張するような労使慣行は存在しない。

同三の(二)の事実については

1の(1)において毎年債務者と国鉄労働組合との間において年度末退職者の取扱いに関して団体交渉を行い、労働協約を締結しそれに基いて退職勧奨が行われること、昭和四一年一二月一七日債務者と国鉄労働組合との間で締結された「昭和四一年度末の退職者の取扱いに関する了解事項」において債権者等主張のような合意がなされておること。

(2)において(イ)債権者武田が五五才であり、昭和四一年一一月中旬以降数回高橋区長等から退職の勧奨を受けたがこれを受けなかつたこと、(ロ)債権者鈴木が五五才であり昭和四一年一二月以降数回管理所長等から退職の勧奨を受けたこと、(ハ)債権者高橋が五五才であり、昭和四一年一二月以降数回渥美所長等から退職の勧奨を受けたが退職しなかつたこと、(ニ)債権者伊藤が五六才であり、昭和四一年八月以降数回渥美所長等から退職の勧奨を受けたが退職しなかつたこと。

(3)において簡易苦情処理会議で債務者が債権者等の異動は一般的な人事異動の一環として行われた旨説明したこと。

2の(1)において昭和四〇年四月一日債務者と国鉄労働組合との間で債権者等の主張するような「雇用の安定等に関する協約」がとりきめられたこと。

以上の各事実は認めるけれどもその余の事実はすべて否認する。

同三の(三)の事実は争う。

二、債権者等に対する本件転勤命令は債務者のいわゆる年度末の定期異動の一環として通常の人事としてなされたものであつて、債権者等に対する報復人事であるなどということは全くない。このことは仙台鉄道管理局管内において、昭和四二年三月退職勧奨を受けながら退職しなかつた者は債権者等を含めて四九名に上るがその大半に当る約三六名は転勤命令を受けていないことからだけでも明かなことである。以下において本件転勤命令が債務者の業務上の必要により適正に発令されたものである所以を述べる。

(一)  債権者武田について

同債権者は小牛田保線区の保線機械掛から長町保線区の保線機械掛に転勤を命ぜられたものであるが、右小牛田保線区の同掛は定員一一名中五〇才以上が六名もおり、三〇才台の者は二名に過ぎず、若年者をもつて入替える必要があつた。一方転勤先である長町保線区では東北本線の複線化、常盤線の電化、丸森線建設等に伴つて仕事量が大きい上、その仕事の内容から熔接技術を習得した職員を必要としていたので、多年熔接作業の経験のある同債権者をこれに当てることが最も適当であると判断されたのである。同債権者は通勤時間が一時間二〇分かかるというが小牛田保線区の職員中でも約半数に近い者は列車で通勤しており、そのうち一時間以上の距離から通う者が十数人おることから考えても、今日の社会生活上別段異例のことではない。同債権者の家庭は四五才位の妻と中学教諭の長男との恵まれた三人暮しであり、同債権者が長町に転勤したため生活が破壊するなどというのは過大な表現も甚しい。

(二)  債権者鈴木について

同債権者は会津坂下特定線路分区(会津高田作業班)から会津宮下特定線路分区柳津作業班に転勤を命ぜられたのであるが、柳津作業班は高田作業班に比して担当する線路が短かく、従つて徒歩巡回が楽であること、河川の防災施設もより完備されていて警戒に便であること、橋梁数も少ない等総体的に勤務が楽であり、高年令者の勤務に向いていると考えられること、又柳津班には若い副長が新たに配属されたので、同債権者は先任者としてこれを補佐するに適任者でもあると考えられることから、本件転勤が発令されたのである。同債権者は通勤時間をいうがその所要時間はせいぜい四・五〇分であつて少しも異例ではない。

(三)  債権者高橋について

同債権者は奥新川通信検査班から塩釜に転勤を発令されたのであるが、奥新川通信検査班は検査長一名、検査掛三名のうち検査掛二名(債権者高橋と同伊藤)が五五才以上であつたが、その作業内容が電柱に登つてする架空線の作業であることが多く、高年令者を若年令者をもつて交替させることが必要であると、かねてから考えられていたのである。

一方塩釜での仕事は既に通信線路としては地下ケーブルが設置されており、架空線作業はなく、室内作業が主体となるので高年令者に適することが明かである。同債権者は転勤先に宿舎がないというが仙台市内に持家があり(勤務先まで通勤時間二三分位)又債務者において希望があれば宿舎を提供する用意のあることも既に申渡してあり、住居の問題が生活の破壊をもたらすという同債権者の主張は全く牽強附会も甚だしい。

(四)  債権者伊藤について

同債権者も債権者高橋と同じく奥新川から仙台に転勤を命ぜられたのであるがその理由は債権者高橋について述べたところと同様である。仙台における住居についても、債務者からこれを提供する用意のあることを既に申渡してあり問題はない。

債権者伊藤の子女二名は現に仙台市内に通学しているのであつて常識ある者ならば仙台への転勤を喜びこそすれ、それが生活を破壊するなどと考えるものはいない。

三、(債権者等の主張に対する反論)

(一)  (労働契約上の「勤務場所」について)

債務者の経営する事業が全国に亘るものであり、且つ他の一般私企業の場合などと異りその事業運営の場所、施設等は連続一体をなすものであることはいうまでもなく、従つて日本国有鉄道に雇傭せられた職員の就業の場所は当然そのすべてに亘るものというべきであるが、

債権者武田は昭和一八年四月仙台鉄道局勤務小牛田保線区技工手を命ぜられ同区在勤となり、

債権者鈴木は昭和一八年四月仙台鉄道局勤務若松保線区線路工手を命ぜられ桑原線路班在勤となり、

債権者高橋は昭和一八年九月仙台鉄道局勤務仙台通信区通信掛を命ぜられ、仙台第二通信分区在勤となり、

債権者伊藤は昭和二二年三月仙台鉄道局勤務仙台通信区通信工手を命ぜられ、奥新川通信分区在勤となつたものである。

従つて債権者等が最初の勤務場所から少くとも仙台鉄道管理局の管轄区域内において日本国有鉄道の命ずる場所に転勤させられることのあるべきことは当然予想されるところであり、債権者等がこれに従つて就業すべき労働契約上の義務を負うものであることは契約解釈上疑を容れない。

なお、日本国有鉄道法第二九条第三〇条はそれぞれ職員をその意に反して降職、免職又は休職を命ずる場合の制限を規定しており、又公共企業体等労働関係法第八条第一項第二号には昇職、降職、転職、免職、休職、先任権及び懲戒の基準に関する事項が団体交渉の対象となりうることを規定しているが、いわゆる勤務場所の変更即ち転勤について何らの規定を設けていないことからいつても職員がその意に反して転勤を命ぜられることがあることは、人事権の当然の範囲に属するものとして法の予定するところであると解せられ、又「事前通知等に関する協約」「雇用の安定等に関する協約」自体一般の人事異動として職員が転勤を命ぜられることがあることを前提とするものであること明白である。

(二)  (「退職者の取扱いに関する了解事項」について)

一般にわが国の企業では、いわゆる生涯雇傭と年功序列型の賃金体系が広く行われているがその当然の結果として能率の高い若年者の労働力を確保して新陳代謝を図り、又後進者に昇進の道を開いてその企業への積極的寄与の意欲を高め、引いては企業全体においてバランスのとれた賃金を維持することが要請されることになり、これを達成する方法として相当規模以上の企業では殆んどの企業でいわゆる定年制が採られていることは衆知の事実である。債務者の行つている事業が鉄道事業という特殊なものであることから、若い労働力による新陳代謝の必要は一層著るしい。このため、日本国有鉄道発足の遙か以前から五〇才乃至五五才に達した者は原則として退職して後進に道をゆずるということが慣行的に実施せられ、よい結果をえてきたのである。債権者等の属する国鉄労働組合もこのような歴史的事実その必要性を肯定した上で、債権者等のいうような「退職者の取扱いに関する了解事項」を当局と締結しているのである。実際上も昭和四二年度末の仙台鉄道管理局管内におけるいわゆる定年退職者は該当年令者二八〇名中二三一名が勧奨に応じて退職した。然し右了解事項に基く退職勧奨に応じない者があつた場合にその者がそれぞれその職場において最も高い年令であるという事実に基いてその作業の内容等を考慮した上で若い労働力を入れてできるだけ適切な労働力の再配分乃至整備を行うため必要な転勤等を発令し、各職場の均衡を図ることは経営者として当然しなければならないところである(国鉄には定員制があるので高年令者をそのままにして若年者を増員することはできない)。

(三)  (「雇用の安定等に関する協約」について)

一口にいえば本件のような転勤は、右協約とは全く関係がない。右協約はその成立の経緯からいつても、或いはその表現からいつてもいわゆる企業合理化(例えばオートメーシヨン機構の採用、電化等)により大量の職種の変換が必要となつたり、職場の廃止による大量の異動が要請せられる等(このような場合を配置転換という言葉で表わしており、本件のような単なる勤務場所の異動即ち転勤とは異なる意味を含ませている)の場合に備えて組合との事前協議を規定したものであることは明白である。本件のような例年行われる定期異動についてその適用のないことはいうまでもなく、又このことについて実際労使間で従来その適用が問題になつた事例はない。

そもそも右協約が成立するに至つた経緯は近時とみにその必要性が増大し、推進せられるようになつた、いわゆる機構、設備等の近代化、合理化、機械化、例えばいわゆる電化、デイーゼル化、信号所、工場その他の統廃合等によつて(このことはおおむね日本国有鉄道法第二九条第四号に該当する)職員の免職、降職、転職等の必要が生ずるに至つたことから、昭和三七年四月これらのいわゆる近代化、機械化等に基づいて生ずる右のような人事異動について三年の期間をもつて締結せられ、昭和四〇年四月ほぼ同一内容の協約として現に存続しているものである。このことは右協約の全文の表現からいつても、又その第一項の趣旨、第二項の内容(前記日本国有鉄道法第二九条第四号に対する特例)からも容易に窺われるが、特にその第三項は「配置転換を伴う場合は設備又は作業の機械化、自動化、近代化及び合理化等に伴う事前協議に関する協定(昭和三五年四月一四日協定)によるほか、云々」といい右事前協議に関する協定の適用される場合に起る異動(これを特に一般の転勤、転職等と区別して配置転換と称している)について定めていることが明白に窺いえられ、右事前協議に関する協定は正にいわゆる機械化、近代化等そのものについての協定であるから、本件のような近代化、機械化等に直接関係しない定期的異動について、右雇用の安定等に関する協約第三項の適用のないものであることはいうまでもない。

本件のような一般の転勤が職員の意に反して行われうるものであることは前述のように法の予想するところと解せられるのであるが、「事前通知及び簡易苦情処理に関する協約」も又そのような考えを前提として第一条で転勤(この転勤中には前記配置転換の性格を有する場合も含まれようが、ここでは一般の転勤について考える)をその期日前一定の期間をおいて通知すること、第二条でこれに苦情のある者はその処理の請求ができること、第三条で第一条の期間が過ぎれば当然発令となること等いずれも当局において本人の意に反した転勤を命じうることを認めていること明白である。

(四)  (債権者等に対する「退職の勧奨」について)

昭和三五年五月日本国有鉄道総裁の諮問機関として設けられた「要員対策委員会」が同年九月行つた答申によると、戦時戦後の特殊事情によつて生じた国鉄職員の異常な年令構成について、その適正化をはかるためには、おそくも昭和四〇年度以降四〇才以上を対象として年平均一万五、〇〇〇人程度を計画的に退職させてゆく必要があることを指摘している。即ち高年令層の労働力をもつて計画的に置きかえていくことは企業の経営上必要であるばかりでなく職員側からいつてもポストの不足、労働量の不平均等を生じ不平不満の源となりかねないものであり、労使いずれの立場においてもその必要性が認められるものである。近時例えば地方公務員について定年制の必要が唱えられているのもこの間の消息を物語るものであろう。定年乃至退職年令を延長すべきであるという議論もいわゆる定年制的なものの必要性を否定するものではなく、寧ろこれを肯定した上で、これを現在の社会情勢に見合つた合理的なものにしようとするに外ならないのである。既に述べたように日本国有鉄道では、旧国家機関の時代からそのような措置が慣行的に実施せられてきたのであり組合もこのことを前提として当局と交渉しているのである。例えば「昭和四一年度末の退職者の取扱いに関する了解事項についての附属覚書」の第二項でいつている「退職年令の延長等については社会情勢及び国鉄の要員構成等を勘案し、引続き検討する」との約定は正に右にいう慣行的定年の存在を前提として、その年令を延長するかどうかの問題に関するものであり、右の「退職年令」という表現は実質上「定年」というのと同じ意味をもつものといつても誤りはないのである。「昭和四一年度末の退職者の取扱いに関する了解事項」及びその附属覚書の趣旨によれば満五〇才以上又は勤続三〇年以上の職員に対し特別退職を勧奨することのあることを前提とし、ただこれを強要しないよう十分配慮することを約したものと解せられるが、勧奨である以上、これを行うに当つて被勧奨者がこれに応ずるか、否かを決断するための材料を提供することは寧ろ当然である。従つてこれに応ずれば退職手当等について優遇処置をうけられることなどと共に、若し応じなければその者の現職場に在勤する他の職員の年令構成等の客観情勢から転勤の必要が生ずるかも知れないような事情が予め考えられるとき、これを本人に伝え、決断の資料に供することは寧ろ当然である。従つて仮にそのような事実があつたとしても、これを強要であるとか、その後の転勤を目して報復人事だとかいうのは全く非常識の論といわざるをえない。

四、(結論)

以上述べたように本件転勤命令は債務者の当然の人事権の範囲に属するものであり、何ら濫用に亘つたり、労働契約、労働協約に背反したりするものではないのであるから有効であり、又債権者等の大げさな表現にも拘らず、さしたる不利益を被つているとは認め難く、少くとも仮処分の必要性のないことはその主張自体からも容易に看取できるので、本件申請は直に却下せらるべきである。

なお債権者鈴木については、本件転勤前の旧職場であつた会津坂下特定線路分区(会津高田作業班にいう作業班はいわば現場のたまり場のようなものであつて職員の所属の場所的単位とはならない)は、昭和四三年三月の軌道保守の近代化に伴う機構改革の結果廃止され、その担当業務及び所属職員は当然会津若松保線区会津宮下支区に統合されその所属となつた。又新任職場である会津宮下特定線路分区(柳津作業班)も廃止され、右会津宮下支区に統合された。従つて本件申請が仮に容れられるとしても、結果的には同債権者が宮下勤務であること(現にそうである)に変りはない(当然西若松支区の所属となるとする同債権者の主張は根拠がない)ので、この点からしても仮処分の必要は全くないと述べた。

五、(疎明省略)

理由

一、(当事者)

債務者が本社を肩書地に、仙台鉄道管理局を仙台市清水小路二八番地に持つ日本国有鉄道法による公共企業体であること。

債権者等がいずれも債務者に雇傭され、申請の趣旨記載の職場(但し債権者鈴木は仙台鉄道管理局会津線管理所会津坂下特定線路分区軌道掛)の仕事に従事して来たものであること、即ち

債権者武田は昭和一三年二月一六日仙台保線事務所保線係工事工手として試傭され、小牛田保線区在勤を命ぜられ、以後昭和四二年四月まで二九年余全く同じ職場で

債権者鈴木は昭和一一年三月一七日桑原丁場直傭人夫として採用され、その後若松線路班を経て、昭和二六年一〇月一〇日以降一六年間会津坂下特定線路分区高田線路班線路工手として、

債権者高橋は昭和一五年三月三〇日仙台通信区一関支区通信工手、一関在勤を命ぜられ、昭和三〇年一二月以降一一年余奥新川信号通信区在勤の通信機掛として、

債権者伊藤は昭和二二年三月五日仙台通信区奥新川通信分区通信工手に採用され、以後仙山線管理所に組織が変つたが、同一職場で一貫して通信検査掛の、

それぞれ仕事に従事して来たもので、いずれも国鉄労働組合の組合員であること。

二、(転勤命令の意思表示)

債務者が債権者等の所属する現場長を通じて、債権者武田に対し昭和四二年四月三日、同月八日付で長町保線区保線機械掛を命ずる旨の、債権者鈴木に対し同年四月一日、同月八日付で会津宮下特定線路分区軌道掛を命ずる旨及び昭和四三年三月機構改革に基き会津若松保線区会津宮下支区勤務を命ずる旨の、債権者高橋に対し昭和四二年四月四日、同月一〇日付で仙台信号通信区小牛田通信支区通信検査掛を命ずる旨の、債権者伊藤に対し同年四月四日、同月一〇日付で仙台信号通信区仙台通信支区通信検査掛を命ずる旨の各転勤の意思表示を行つたこと。

以上の事実は当事者間に争いがない。

三、そこで先ず(労働協約違反)―(退職者の取扱いに関する了解事項違反)の点につき考察する。

(一)  毎年債務者と国鉄労働組合との間において年度末退職者の取扱いに関して団体交渉を行い、労働協約を締結し、それに基いて退職勧奨が行われること。昭和四一年一二月一七日債務者と国鉄労働組合との間で締結された「昭和四一年度末の退職者の取扱いに関する了解事項」によれば、第一項において「昭和四一年度末において年令満五十才以上又は勤続三十年以上の者で、昭和四二年一月一日から同年三月三十一日までに退職の意思表示をしたものに対しては日本国有鉄道職員退職手当支給事務取扱規程(昭和三四年一〇月総裁達第五二三号)第十二条の規定による整理退職の場合の退職手当を支払う」と定め、続いて第二項において「前項の取扱いをする場合、退職の意思表示を強要しない」と合意されていることは当事者間に争いない。

(二)  (各債権者等に対する退職勧奨の経過)

1  債権者武田について

成立に争いない甲第一八乃至第二一号証、証人臼井享の供述により成立を認めうる甲第二二号証、債権者武田時夫本人の供述により成立を認めうる甲第七号証の各記載に証人臼井享、同瀬川光雄及び債権者武田時夫本人の各供述並びに当事者弁論の全趣旨を総合すれば退職の勧奨は「年度末退職者の取扱いに関する了解事項」の協定を締結した以後において行うことということが交渉の過程で当局側にも確認されておるのであるが、同債権者は右協定が締結された昭和四一年一二月一七日以前において、即ち

(1) 同年一一月中旬小牛田保線区技工班詰所において高橋幸一保線区長及び村田首席助役から「就職先を探してやるがどうか」と問われ「退職は致しません」と答えたところ「一日では判るまいから考えておくように」といわれ、

(2) 同月二七・八日頃同所で右両名から「会社の幹部に採用するといつているそうだから、この際後進に道を譲つてはどうか、今直ぐとはいわない、よく考えて一二月三日までに返事をしてくれ」といわれたが、同債権者は前同様退職の意思のないことを伝え、同時に小牛田の組合分会長にも右の事情を話したので同分会長は前記両名に今後は退職の勧奨はしないようにと申入れた。

(3) 同年一二月一〇日同保線区事務室において前記両名から「人頼みで断ることはない、良い就職先きを探してやろうと思つているのだ」と暗に組合に通じたことを非難めいた口調でいわれ、

(4) 協定成立以後である昭和四二年一月中旬同所で右両名から前同様の勧奨を受け、

(5) 同年二月下旬新しく同保線区長として着任した峯岸俊二は村田首席助役、小松助役と共に右保線区事務室において「前区長から引継ぎがあつて聞いているが、退職する意思はないのか」と問い、その意思のないことを答えるや、就職の斡旋をすること、退職に応じなかつた者の不遇なその後の実情などを交々話して聞かせ、

(6) 同年三月二二日小牛田駅前の喫茶店から場所を区長公舎客室に移し峯岸区長は村田首席助役と共に約三〇分に亘り退職を勧奨し同債権者がその意思のないことを答えるや「仙台方面に転勤になつても断るのか」と詰問した。

以上の事実が認められ右認定に副わない証人峯岸俊二の供述部分は前記各証拠に照らしたやすく信を措き難く他に右認定を覆すに足る証拠はない。

2  債権者鈴木について

債権者鈴木信喜の供述により成立を認めうる甲第九号証の記載に同供述及び証人戸倉馨の供述並に当事者弁論の全趣旨を総合すれば同債権者は

(1) 昭和四一年一二月一七日会津高田駅前の喜楽屋食堂二階において会津線管理所総務科長菅原昌一、同所施設科長佐々木泰の両名から「君は五五才だ。今退職すれば一時金は二七〇万円、年金は一日八〇〇円位になるがどうか」等といわれ午後三時頃から約一時間に亘り退職を慫慂され、

(2) 昭和四二年一月一三日会津線管理所長室で伴享一郎所長及び前記二名から「年金一時金も貰えるし、後進に道を譲つてはどうか」といわれ午前一〇時頃から約四〇分に亘り退職を勧められたが同債権者は「何回いわれても退職の意思は毛頭ありません」と答えた。

(3) 同年一月二五日菅原総務科長、佐々木施設科長の両名は中田観音の参拝の帰りと称して同債権者の自宅に立寄り、同人の妻に対し退職条件を示して「退職するように夫に相談して貰いたい」と伝え

(4) 同年二月七日前記管理所において右両名から前同様の勧奨を受けたが、このときは同債権者も少しく興奮気味となり「あなた達は何回いつてもわからないのですか。私の意思は飽くまで強固です。憲法一三条をよく見て下さい。個人の意思を尊重して下さい」と申向けた。

(5) 同年三月一五日高田線路班において菅原総務科長の後任として着任した佐々木照雄から「前総務科長から話は聞いているが、尚本人から直接意思を確めたい」と話しかけられ、同債権者は「前科長に申し上げたとおり心は変りません。やめる意思は絶対にありません」と答えた。ところが

(6) 翌一六日同債権者が高田、新鶴間の現場で枕木交換作業に従事していたところ、佐々木施設科長と坂下分区長和泉吉治の両名が巡回に来て、同債権者を約一メートル離れた場所に呼び寄せ「君のことは終つた。来年度は八割増はない。君は体が丈夫だからどこに転任してもよいだろう」と申向けてその場を立ち去つた。

以上の各事実が認められ右認定に副わない証人佐々木照雄の供述部分は前記証拠に照らしたやすく信を措き難く他に右認定を覆すに足る証拠はない。

3  債権者高橋について

債権者高橋高夫の供述により成立を認めうる甲第一一号証の記載に同供述。証人佐々木辰雄の供述及び証人渥美益治の一部供述(後記措信しない部分を除く)並に当事者弁論の全趣旨を総合すると同債権者は

(1) 昭和四一年一二月二〇日仙山線管理所湯呑所において桜井経男総務科長から「三月に退職する気はないか。会社の方から君を信用して所長まで頼みに来ているんだ、第二の人生を送るつもりで退職して会社へ行つた方がいいのじやないか」と約三〇分に亘り退職を勧められ、同債権者は絶対にその意思がない旨を伝えた。

(2) 昭和四二年一月一九日奥新川通信検査長詰所において桜井総務科長から「どうだ、まだやめる決心はつかないか」と問われ、

(3) 同年二月一日早坂検査長からの連絡で仙山線管理所に呼び出され、桜井総務科長、伊藤努電気科長、根本良平助役の立会う所長室で渥美益治所長から「君がそんなにやめないと頑張るなら転勤するようになるかも知れないぞ」と申向けられ、桜井総務科長からも「とにかく所長がいう通り、この際きつぱりやめて会社の方に行つたらどうか」と勧められ、

(4) 同年二月九日仙台市清水小路にある仙山線管理所仙台分所宿直室で桜井総務科長、伊藤電気科長の両名から「君はまだやめる決心がつかないのか。今の所長はああいう人だから、君がやめないなんていうなら会津方面さ転勤させるとか、仕事を与えないようにするかも知れない。とにかく遠いところに転勤させるつもりでいる、君のためなんだから早く手を打つた方がいいんぢやないか。仙山線ではやめる人が少いので所長はとても困つている」と申向けられ、

(5) 同年二月中旬奥新川駅宿直室で長谷川平治総務科長、伊藤謙仙鉄局電気部通信係長の両名から「どうだ退職する気はないのか。所長も退職する人がいなくてとても困つているらしい。どうしても君達に退職して貰いたいといつている」と申向けられ、

(6) 同年三月中旬奥新川通信検査長詰所で伊藤電気科長から「まだやめる決心はつかないのか」といわれ、更に

(7) 同年三月二〇日早坂検査長の連絡で仙山線管理所に呼び出され、長谷川総務科長の立会う所長室で渥美所長から「高橋君まだやめる気がないのか。君が意地を張つてやめないというのであれば、通勤の不可能な所へ転勤させるぞ」と責められた。

以上の各事実が認められ、右認定に副わない証人渥美益治の一部供述は前記証拠に照らしたやすく信を措き難く他に右認定を覆すに足る証拠はない。

4  債権者伊藤誠について

債権者伊藤誠本人の供述により成立を認めうる甲第一二号証の記載に同供述、証人佐々木辰雄の供述及び証人渥美益治の一部供述(後記措信しない部分を除く)並に当事者弁論の全趣旨を総合すれば、同債権者は

(1) 昭和四一年八月中旬作並電力検査長詰所で伊藤電気科長から退職希望の有無、家庭の事情等を聞かれたので退職の意思のないことを告げた。

(2) 昭和四二年一月一九日奥新川通信検査長詰所で桜井総務科長から「今年もやめる気はないか」と聞かれたので、子供が高校に在学したばかりであるから卒業するまで勤めたいと答えた。

(3) 同年二月一日検査長からの連絡で仙山線管理所に呼び出され、桜井総務科長、伊藤電気科長、根本助役の立会う所長室で渥美所長から「君は退職しないと頑張るけれども、仕事を与えられなかつたらどうするのだ、二〇年間も奥新川におるけれども今度はおられなくなるかも知れない」と申向けられ

(4) 同年二月九日前記仙山線管理所仙台分所宿直室で桜井総務科長、伊藤電気科長の両名から交々、退職しなかつたため仕事が与えられず、結局退職せざるをえなくなつた荒木定雄の例を上げて、そうならないうちに考えて、やめてはどうかと申向けられ、

(5) 同年二月中旬奥新川通信検査長詰所で伊藤電気科長から「他の職場では五五才のものを邪魔者扱いをしている、だからやめた方がよい、所長のことだから何を考え、何を実行するか判らない」と申向けられ、

(6) 同年二月中旬奥新川駅宿直室で長谷川総務科長、伊藤仙鉄局電気部通信係長の両名から交々「ここに長く勤務しているけれども、この場所におれなくなるかも知れない」と申向けられ、

(7) 同年三月中旬奥新川通信検査長詰所で伊藤電気科長から「あの所長のことだから何を考え何を実行するかわからない、そうされてからでは困るから、よく考えて返事をしてはどうか」と勧められ、

(8) 同年三月二〇日検査長の連絡で仙山線管理所に呼び出され長谷川総務科長の立会う所長室で渥美所長から「子供のことや、借金のことは理由にならぬ。退職しないと頑張つているけれども、仕事を与えなかつたらどうする。奥新川におれなくなるかも知れない」と申向けられ、

(9) 同年三月二三日頃奥新川通信検査長詰所で伊藤電気科長から「所長は何をするかわからない。あと一週間あるから三月三一日までよく考えて返事してはどうか」と申向けられた。

以上の各事実が認められ右認定に副わない証人渥美益治の一部供述は前記証拠に照らしたやすく信を措き難く他に右認定を覆すに足る証拠はない。

当事者弁論の全趣旨によれば退職勧奨に応じなかつたものが、転勤等の人事異動の対象にされることはこれまでその例がなかつたことが認められるところ、債権者等は前記説示のような退職勧奨の経過を辿つた後、それぞれ前述のとおり前例のない転勤命令を受けるに至つたのである。

(三)  成立に争いない甲第三、第四号証、同第一五号証、同乙第二号証の各記載に証人甲斐邦雄、同橘宏平、同中島啓雄、同広嶋力の各供述を総合すれば、他方日本国有鉄道では旧国家機関の時代から現在に至るまで五五才になれば退職するということが不文律の如く職員の意識の中に存在し、これが職員によつて慣行的に実践されて来た。そして戦後労働組合の結成それとの団体交渉等の過程で毎年三月三一日の年度末になつてほぼ五五才又は一定の勤続年限に達した職員に対して退職を勧奨し、この勧奨を要件としてこれに応じた者は退職金等の面で優遇措置をとることが永年にわたり、毎年ほぼ同一の要領で実施されて来たのであるが、昭和三五年当時において国鉄における職員の年令構成は三〇才台の層が二〇万人余で全体の四六%を占め中ぶくれの提灯型となり、このままの状態で推移すれば一〇年後には四〇才以上の者の占める割合は五五、二%一五年後には五九、六%となり、この老令化は必然的に国鉄の経営上、財政的にも労務管理上からも極めて重大な問題が予想されることとなつた。昭和三五年五月国鉄総裁の諮問機関として設けられた「要員対策委員会」においても同年九月二〇日付の答申で、この点を強く指摘し、その対策として現在の退職者は毎年平均八、〇〇〇人程度であるが、おそくも昭和四〇年度以降四〇才以上を対象として年平均一万五、〇〇〇人程度を計画的に退職させてゆくことが最も無理の少ない措置であると結論づけた。国鉄当局と同労働組合との間で「雇用の安定等に関する協約」が締結され、「配置転換を行う場合は……本人の意向を十分尊重し、不利益とならないようにする」等の協定が結ばれたのも、このようなことが一つの動機となつたのである。

ところで仙台鉄道管理局においては、同管内が他局に比較して高年令者の年度末特別退職の率が低く、昭和四二年度末でも同管内における五五才該当年令者二八〇名中二三一名が勧奨に応じて退職したが、四九名が退職に応じないという実情であつた。このような高年令者累増化のすう勢に対処して、各職場における年令構成の是正、適材適所、人心刷新等の必要性は次第に増大し、仙台鉄道管理局においては、昭和四一年度に至つて始めて右四九名のうち債権者等を含む一三名の高年令者についても、これを一般人事異動に組入れることを実行(債権者四名に対する異動の動機は暫らく措く)するに至つた事情を推認することができ他に右認定を覆すに足る証拠はない。

国鉄経営の大勢に鑑みるとき、仙台鉄道管理局が前例を破つて高年令者の人事異動を図つた措置は必ずしも不当なものということはできない(就労場所は労働契約の内容となつている旨の債権者等の主張は全立証をもつてするもその合理性を発見することができない)、又現場長等の当局者が再就職の斡旋、住宅の獲得、子弟の教育等生活設計の準備期間を慮つて比較的早い時期から退職年令に達した職員の内意を確かめ、できるだけ良い再就職先を斡旋しようとすることも当然の思いやりある措置と思われるので、本件の場合前記協定締結以前即ち昭和四一年一二月一七日以前に債権者伊藤及び同武田に対し前記説示のような程度の慫慂を行つたことは、内意の確かめ程度のものと解して差支えなく、これをいちいち取り立てて前記協定に違反した退職の勧奨行為ということはできない。又国鉄経営上、労務管理上の重大事態に思いを到すとき勧奨が或る程度繰返えし行われたからといつて、これを直に強要と見ることも穏当でない。要は退職の勧奨が強要に亘つてはならないという前記協定の趣旨に従つて当事者が理解と愛情を基調とした話合いを進めることが肝要であつて、その過程で該当者が退職の意意はないと言明したからといつて、それ以上勧奨してはならないというものでもなく、個人の意思の尊重と国鉄経営上の要請という両者の調和を保ちつつ行われることが望ましいのである。

これを本件の各債権者に対する退職勧奨の前記経過において検討してみるとき、現場長その他当局者が転勤をほのめかして各債権者に退職を慫慂したことが最も問題となる惧れのある点で、その他の勧奨経過は必ずしも協定の了解事項に違反したという程度のものでないことが明かである。然して転勤をほのめかした点についても前述した異動措置の合理性が是認される以上、これをもつて直に強要ということはできない。問題は具体的な転勤命令が前記調和の観点に照らし果してどの程度の合理性があるか、どうか、その人事に報復的な意図が存在していたのではないかという点、更にいえば転勤を手段として退職に応じなかつた本人に不利益を与えたかどうかが検討さるべきであつて、若しこれに合理性が乏しく且つ報復的な意図が存在したとすれば、転勤命令を受けた本人は転勤する位なら退職した方がよいという気持に追い込まれないとも限らず、このような転勤命令を人事権の名において是認することは、転勤に藉口して退職を強制する道を開くこととなるので、かかる命令は最早や人事権行使の正当な範囲を逸脱した退職の強要というべく、前記協定に違反し無効であること明かである。

(四)  そこで次に本件転勤命令につき右の点の存否を検討してみる。

1  債権者武田について債務者は

(1) 小牛田保線区の機械掛は定員一一名中五〇才以上が六名もおり、三〇才台の者は二名に過ぎず、若年者をもつて入替える必要があつた。

(2) 一方転勤先である長町保線区では東北本線の複線化、常盤線の電化、丸森線建設等に伴つて仕事量が大きいうえ、その仕事の内容から熔接技術を習得した職員を必要としていたので、多年熔接技術のある同債権者をこれに充てることが最も適当であると判断されたと主張するのであるが、

証人瀬川光雄及び債権者武田時夫本人の各供述によれば

(イ) 小牛田保線区機械掛の五〇才以上の一人であつた高橋さとしは鍛造を分担していたのであるが、本件転勤命令の事前通知書を発する以前に既に年度末退職していたので、五〇才以上のものは五名で、定員に一名不足していたのであるから、そこに若年者を補充すれば事足りたと思われるし、その後任に長町の材集場で熔接作業専門に従事していた五一才位の三浦正を充てておきながら、尚若年者との入替えの必要を説いて債権者武田を転勤せしめる根拠は乏しい。そればかりでなく、旋盤熔接を担当していた同債権者の後任には自動車の運転しかできない本間某を充て、右異動で保線機械、器具の修理をする者は同債権者の転勤前は五名であつたが、それが四名となり技工班で修理関係の作業をするものの労働強化を来しており、同債権者の転勤後火造り鍛造作業のベテランがいないため慣れない作業を行つていたものが負傷する事故が発生し、実際の作業面からいつても同債権者を小牛田保線区から転勤せしめる必要とその合理性は乏しかつたこと。

(ロ) 転勤先きの長町保線区技工班では同債権者は主務者の地位になく、従前いた下級職の者から指揮を受けて作業に従事し又ここには熔接関係の技術をもつているものは七人のうち三人おり、当時同債権者を作業上必要とする度合はそれ程強いものではなかつた。そればかりでなく長町保線区は昭和四三年三月二〇日組織変更があつて仙台保線区と統合してその後保線区鍛冶場の近代化によつて鍛冶場作業は緊急なものを除いて一切外注にするという方針に変り、本来の保線区機械掛の仕事は機械の見廻り、点検と軽微な修理を行うということに変り、債権者武田は仙台保線区長町支区に所属し、熔接作業等はなくなり、機械の点検見廻りをしておるに過ぎず、このような近代化計画は昭和四二年三、四月当時既に当局において了知されていたことで、同債権者を必要としたという債務者の主張は事実に反していること。

(ハ) 尚同債権者は小牛田に自宅を建築居住しているので、そこから従前の勤務場所に通勤する場合と、転勤先きの長町支区に列車を利用して通勤する場合を比較すると朝晩の通勤時間において、後者がそれぞれ一時間三〇分余計に時間を費やし、五五才になつて初めて列車通勤を経験しそのための疲労が重なり、同債権者は昭和四二年八月から一二月まで四か月間胆のう炎を患い休職した。

事実が認められ右認定に副わない証人峯岸俊二、同広嶋力の各供述部分は措信できず他に右認定を覆すに足る証拠はない。

当裁判所は同債権者が転勤をほのめかして勧奨された前記のいきさつに右認定の(イ)乃至(ハ)の事情を併せ考えてみるとき小牛田保線区技工班の主務者として必要度の高い同債権者を合理性の乏しい事情の下に長町支区に転勤せしめたということは退職の勧奨に応じなかつた同債権者に対する報復的な意図があつてのことと認めざるをえない。

2  債権者鈴木について債務者は

柳津作業班は高田作業班に比して担当する線路が短かく、従つて徒歩巡回が楽であること、河川の防災施設もより完備されていて警戒に便であること、橋梁数も少ない等総体的に勤務が楽であり、高年令者の勤務に向いていると考えられること、又柳津班には若い副長が新たに配属されたので、同債権者は先任者としてこれを補佐するに適任者でもあると考えられることから本件転勤が発令されたと主張するのであるが、債権者鈴木信喜本人の供述により成立を認めうる甲第九号証、同第二八号証の各記載に同供述及び戸倉馨の各供述を総合すれば、

(イ) 同債権者は八六才になる老母と病弱の妻を抱えており、従前の勤務場所であれば自宅からバイクで僅かの時間で通勤できていたのであるが、転勤先きに通勤するとなると妻が朝四時には起床しなければならなくなり、帰宅の時間は午後七時近くになるという家族を挙げての苦労と通勤の不便が加わること。

(ロ) 柳津作業班の担当区域には高田作業班における橋梁に比較して遙かに高い橋梁が多く例えば高田作業班にある宮川橋梁は長さは長くても高さは四、六メートルに過ぎないが、柳津作業班担当区域にはそれより遙かに高い御殿場橋梁(長さ一〇三メートル、高さ二六、三メートル)、管理沢橋梁、白糸橋梁、銀山川橋梁が存在し、転落事故でも発生すれば一命は到底覚束ない状況にあり、昭和三三年頃には実際に線路工手の星隆喜が足を踏み外して御殿場橋梁から転落し、幸い木の枝に引掛つて一回転したお蔭で命に別条はなかつたが、一年以上休職するという事故も発生した。そればかりではなく高田作業班にはない隧道があり、曲線個所は急カーブが多くて見透しは悪く、一帯に山地であるため冬期間の積雪はひどく、その作業環境は高田作業班に比較して、遙かに劣つており、高年令者に適した職場とはいゝえないこと。

(ハ) 柳津作業班には勤続二八年で陸軍軍人の経験のある春日力、それに二五年になる阿部それに五十嵐芳位もおるので、債権者鈴木が先任者として補佐しなくとも若い副長を補佐するものには事欠かないこと。

以上の各事実が認められ右認定に副わない証人佐々木照雄の供述部分は措信できず他に右認定を覆すに足る証拠はない。

当裁判所は同債権者が転勤をほのめかして勧奨された前記のいきさつに右認定の(イ)乃至(ハ)の事情を併せ考えてみるとき、同債権者を債務者の主張するような事実の認められない寧ろそれとは逆に合理性の乏しい事情の下に柳津作業班に転勤せしめたということは、退職の勧奨に応じなかつた同債権者に対する報復的な意図があつてのことと認めざるをえない。

3  債権者高橋、同伊藤について債務者は

(1) 奥新川通信検査班は検査長一名、検査掛三名のうち検査掛二名(右債権者両名)が五五才以上であつたが、その作業内容が電柱に登つてする架空線の作業であることが多く、高年令者を若年令者をもつて交替させることが必要であるとかねてから考えていた。

(2) 一方塩釜での仕事は既に通信線路としては地下ケーブルが設置されており、架空線作業はなく室内作業が主体となるので高年令者に適することは明かである。

と主張するのであるが、証人佐々木辰雄、債権者高橋高夫、同伊藤誠各本人の各供述を総合すれば

(イ) 電柱に登つての架空線作業というものは足に昇柱器をつけて登つてゆき、胴綱で身体を支えて作業を進めてゆくものであるから相当の年期を要するものであり、殊に奥新川は冬期間は吹雪、積雪の激しい山間地であるため、気象状況の移り変りにも精通したベテランが必要で、若年令者ならやり易いというような簡単なものではなく、右債権者両名は高年令者であるからといつて苦にすることもなく架空線作業に従事しうること、

(ロ) 本件転勤命令の結果奥新川検査班は検査長を除き他の三名全員が昭和四一年に国鉄に採用されたもので構成されたが、昭和四二年七月仙山線高瀬楯山間において、木柱に登る作業を行わねばならなくなつたとき、右三名はこれができず已むなく検査長自ら昇柱器と胴綱によつて右作業を行わざるをえなかつたこともあり又同年一一月末頃作並隧道の盤下げ作業中ケーブルに障害が発生したときも検査長は右債権者両名に助勤を要請して僅か三〇分で故障個所を発見し回復したこともあつた。

(ハ) 債権者高橋の転勤先である小牛田通信支区塩釜検査班及び債権者伊藤の転勤先である仙台通信支区仙台第一検査班の各保守担当区域には架空線はもとより存在し、右両名は現在も架空線作業を行つておること。

(ニ) 尚仙山線の通信線は昭和四三年一〇月一日に全線が地下ケーブル化されることが予定されているのであり、このことは本件転勤命令の出る以前である昭和四二年四月一日の時点において既に当局において了知されていたのであるから債務者の主張していることには矛盾があること。

以上の各事実を認定することができ証人渥美益治、同広嶋力の供述部分は措信せず他に右認定を覆すに足る証拠はない。

当裁判所は右債権者両名が転勤をほのめかして勧奨された前記のいきさつに右認定の(イ)乃至(ニ)の事情を併せ考えてみるとき右債権者両名を債務者の主張するような事実の認められない寧ろそれとは逆に合理性の極めて乏しい事情の下にそれぞれ転勤せしめたということは、退職の勧奨に応じなかつた同債権者両名に対する報復的な意図があつてのことと認めざるをえない。(債権者等の通勤上の不便は同債権者等が国鉄宿舎に居住しており、一般に転勤に伴い対応した宿舎が貸与されることが予想されるのでこの点は考慮しない)

四、(結論)

以上これを要するに各債権者に対してなされた本件転勤命令は「退職を強要しない」という前記協定の了解事項に違反したものであることが明かであるから、いずれも無効という外はなく、従つて各債権者(但し債権者鈴木については、後記のとおり、これを除く)の旧職場における地位保全を求める本件仮処分申請は理由があるからこれを相当として認容する。

然し債権者鈴木については旧職場であつた会津坂下特定線路分区が昭和四三年三月の軌道保守の近代化に伴う機構改革の結果廃止され、同債権者が会津若松保線区会津宮下支区の所属として発令されたことは当事者間に争いなく、同債権者の新旧の職場がいずれも右会津宮下支区に所属していることは同債権者本人尋問の結果これを認めうるところであるが、同供述中の旧職場の一部地域が西若松支区に所属しているとの点及び旧職場の担当地域が会津宮下支区と西若松支区に四分、六分の割合で分割されているとの点は債務者弁論の趣旨に鑑みたやすく信を措き難く他にこれを認めるに足る証拠はない。従つて、同債権者に対する転勤命令は前述のとおり無効であつても、現在同債権者を復帰せしめる地位は不確定といわなければならないのでこれを保全するに由ない。又同債権者の求めている西若松支区の地位を仮に定めることは発令行為を裁判によつて形成することとなり保全の限度を超えるものであつて許容されない。いずれの点からしても同債権者の本件申請はこれを却下する外はない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九〇条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 三浦克己 藤枝忠了 森谷滋)

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